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『初めてをもう一度』(L編)

 人が突然いなくなるって、果たしてどんな感覚なのだろう。
 例えば遥か遠いどこかの見知らぬ誰かだったら「ふーん」とたったそれだけで終わってしまいそうだが、身近な人だったらどうだろうか。仲間とか友人とか、そして家族とかだったらどうなのか。寂しい、悲しい、虚しい、つらい、痛い、やるせない……。考えつく限りではいわゆる負の感情しかきっと出て来ないのだろう。まあ、喜ぶ奴もいるとは思うが大半の人ならば嘆き悲しむっていう反応が当たり前のことだとオレは思っている。
 少なくともオレにとって遊間ユーゴという人間はその嘆き悲しむ対象であった。未来から来た天才トラックメーカー。本人は天才を否定していたが、そんな肩書だったあいつはただの音楽バカであった。と、いう印象が強い。バカみたいな大声で笑い、時にはバカみたいにふざけ合って、おちゃらけたムードメーカーのように振舞っていたが、本当は誰よりも繊細でどこまでも真っ直ぐな奴だったのをオレは知っている。
 「だった」過去形だ。遊間ユーゴはもういない。死んだと言うと語弊があるが、あいつはこの世界から弾かれたのだ。
 たまたま、Noctyxの家にルカと遊びに行ったことが幸運だったのか不運だったのか。感情という感情がごっそりと抜け落ちたような顔をしたファルガーから聞かされた話は想像を絶するものであった。
 人が燃える? しかも灰一つ残さずに、だって? 訳が分からない。
 百人いたら九十九人くらいはオレと同じ感想を抱くだろう。何かの冗談かと思ったが、
「冗談だろ?」
 なんて茶化して言える雰囲気でもなかった。これはただ事では無いとオレは慌ててスマホを取り出して、しどろもどろに説明を交えながら他のみんなを呼び出した。そして、着いて早々のヴォックスやシュウに調べてらったが、結果として「遊間ユーゴはもうこの世界のどこにもいない」という事実だけが唯一分かったことだった。
「不確定な未来だからこそ、こういう事態もあり得る。悲しいが、どうしようもないことだ」
 ヴォックスが言った言葉だ。この言葉は今思い出すだけでもクソくらえだと悪態をつきたくなる。本当に気分が悪い。
 憩いの場であるはずのリビングは惨状だった。床にへたり込んで静かに涙を流す浮奇の背中をシュウが擦り、瞬きすら忘れたんじゃないかと思うほどソファの一点を凝視するアルバーンにアイクが声をかけ、力なく椅子に座り項垂れるサニーの肩にそっとルカが手を置いて慰め、悲痛な顔でありながら尚も気丈に振舞おうとするファルガーにヴォックスが労わりの言葉をかけていた。
 地獄絵図ってこんな感じのことを言うのだろうか。地獄がどんなものかは知らないが、悲しみと嘆きと言いようの無い絶望が支配するこの空間はオレにとってはまさに地獄のような光景としか表現のしようがない。
「いやいや、冗談キツいって。……っ本当に意味が分からないんだけど! なんでユーゴが消えなきゃいけないわけっ!? っなんでだよ!!」
 無駄に大声になってしまったが誰も叫ばないならオレが叫ぶしかないだろう。納得できない、納得したくない。何が不確定な未来だ。これが不運だったで終わっていいのか。いい訳ないだろこんな理不尽なんて、あんまりだ。ふつふつと腹の底から怒りが湧く。喉の奥が煮えたぎるように熱い。こんな怒りを覚えたのは初めてだった。
「ミスタ!!」
 怒りで真っ赤に染まった頭にアイクの咎めるような声が響いて少しだけ我に返る。
「ミスタ、少し落ち着いて。フーちゃん達の方が大変なんだ。僕達が取り乱してどうするのさ」
 その言葉は正しい、正論だ。でもアイク、君の顔も酷く歪んでいることを君は気づいているのだろうか。無理してるってオレ達にはバレているんだよ。そんな酷い顔をした奴が気遣いだなんて聞いて呆れるし、笑える。
 ……笑わないけどさ。
「……アイク、いいんだ。ありがとう、ミスタ。怒ってくれて……、ありがとう」
 そう言ってファルガーが無理やりに顔を歪ませてつくる笑みを見て結局オレは何も言えなくなった。絶望と言う二文字が似合う顔なんて人生で何回見ることになるのだろうか。そして、その記念すべき一回目が友人の顔だなんて随分と趣味の悪い悪夢だ。本当に趣味が悪い、反吐が出る。いや、胃の中のモノを全部ぶち撒けたかった。急激に先程までの怒りが気持ち悪さに変換されたオレはその場に立ち尽くすしかなかったのである。
 情けないって? 本当にオレもそう思うよ、まったく本当に情けない。
 余談かもしれないが、いくらユーゴが世界に弾かれたと言ってもオレ達にはユーゴとの記憶が鮮明に残っている。遊間ユーゴが確かに存在したという記憶があるのはある意味幸運なことかもしれないが、オレにはそれが酷く残酷に思えた。
 燃やし尽くすなら存在も記憶も何もかも灰にして逝けって話だ。忘れることも出来ず、ただ心に消えない傷を抱えて生きろだなんて、そんな無慈悲なことは無いだろう。あんまりだ。
 

 あの惨劇から早数ヶ月。いつの間にか季節は凍える冬から暖かい春へと移り変わろうとしていた。どんなにつらくても世界は立ち止まってくれない。心にはまだしくしくと痛みが残っているが、それでも時間の経過とともにNoctyxの奴らが落ち着きを取り戻しつつあるのもまた事実であった。いつのも調子で笑うことも多くなったあいつらを見ているとなんだかオレの心も軽くなった気がする。今まで通りの日常では無いかもしれないが、なんとか立ち直ろうとする姿を見ていると悲しくもあるが嬉しかったのだ。
 しかしだ、最近何かが引っかかる。例えば、食器棚の中、使われ無いはずの食器が埃ひとつ付かずに綺麗なこと。例えば、もう読む奴がいないのに音楽雑誌の最新刊がリビングに置かれていたこと。例えば、ある時期からNoctyxの奴らの調子が目に見えて良くなっていったこと、等々。それらの疑問は何れも些細なことなのかもしれ無いが、なんだか妙に気になって仕方ない。
「なんか、おかしい」
 ある日の夕食時の食卓。家族団欒の場でつい口から洩れた言葉がそれだった。みんなの視線がすべてオレに向けられる。
「おかしいとは、何がおかしんだ? ミスタ?」
「分かんないけど、Noctyxの奴らなんか隠している気がする。……分かんないけど」
「ミスタ、あんまり憶測で物事を言うものじゃないよ。いくら君が探偵だからと言ってもね」
 ヴォックスの返しにうまく答えられないでいるとアイクに窘められてしまった。確かに証拠も何も無い。ただ不確定なことを言っていると自分でも自覚はある。でも、オレはオレ自身の勘から何故か目を背けることが出来ないでいた。
「アイクの言うことは最もだけど、オレの探偵としての勘に引っかかるんだ………。オレは、あの家にまだユーゴがいるとしか思えない」
 オレの言葉にみんな息を飲むのが分かった。不謹慎なことを言っているって自分でも理解している。ただ、このモヤモヤを吐き出したかったのかもしれない。ひとりで抱え込むには少しだけ重かったから。
「……僕達は、ミスタの勘が良く当たることは知っているよ。でもね、僕が視た限りではユーゴくんはもういない。それは確かだ。それでもミスタがあの家にユーゴくんを感じているのは、もしかしたら残り香のせいかもしれないね。まだ彼の部屋や私物はそのままだって彼らも言ってたし、ね」
 一瞬の沈黙の後、穏やかに口を開いたのはシュウだった。オレ達には見えないモノをシュウは視ることが出来る。そのシュウが「いない」と断言するならきっと間違いなど無いのだろう。「残り香」という説も分かる気がする。何の確証も無いオレとは違って説得力がある言葉だった。だったが、困ったことにオレの勘は相変わらず「遊間ユーゴはあの家にいる」と主張している。本当に困る。そして無視が出来ない。
「で、でも……!」
「お願いミスタ、もうやめて。……お願いだから」
 思わず反論しようとしたが、アイクがあまりにもつらそうに懇願するからオレはそれ以上何も言葉には出来ず、口を閉じるしかなかった。アイクとユーゴが趣味の面でも音楽の面でも特に仲が良かったのを知らない奴はいない。きっとこの中で一番つらい思いをしているのはアイクだ。そんなつもりは無かったのだがオレの言葉は酷くアイクの心を抉ったのだろう。アイクのつらそうな顔など見たくなかった。どんなに気になっていようとも不確かなことを話すべきでは無かったのだと後悔が押し寄せる。
「ま、まあこの話は置いといてさ。あ、そうだ! オレ、思ったんだけど折角暖かくなって来たんだし、今度Noctyxの奴らも呼んで庭でホームパーティーでもしようぜ! な? いいだろ? きっと楽しいこと間違いなしだって!!」
「……ホームパーティー、か。確かにあいつらも少しは調子が戻っただろうから良い機会かもしれないな。よし、そうなれば早速予定を立てて準備をしないと。ミスタもあまり気にするな。勘違いだってこともあるさ」
 何とも言えない気まずい雰囲気をぶち壊したのはやはりルカだった。それにヴォックスが乗っかり場を和ましていく。
「…うん、そうかも。……オレ、探偵だからさ! 何でもかんでも気になっちゃうんだよ。最早、職業病ってやつ? アイクもシュウもごめん、無神経過ぎた。…本当にごめん」
 せっかく和んだこの機会を逃したくなくてオレはいつものように、いや少々あからさまに明るく振舞うことにした。それがこの時の最適解だと思ったから。オレの勘より今はこの気まずい雰囲気をどうにかしたかったのだ。
「いいよ、ミスタ。僕もきつく言っちゃってごめん」
「そもそも僕は気にしてないから謝らなくてもいいよ」
 そんなオレの謝罪をアイクとシュウは笑って受け入れてくれた。正直ホッとしたし、これからはもっと気を付けて発言しようと心に誓ったのである。
 無事に食事が終わってシャワーも浴び、ベッドでひとり横になってよくよく考えてみたらヴォックスの言う通りなのかもしれない。勘違い。オレの勘がそう外れることは無いが、仕事中の推理でも見当違いなことだって今までにもあったのだ。今回は珍しくそのパターンなのかもしれない。きっとそうだ。
 食器に埃ひとつ付いて無いのは浮奇が綺麗好きだから。音楽雑誌の最新刊が置いてあるのはアルバーンもよくそれを読んでいたから。ある時期からNoctyxの奴らの調子が良くなったのもあいつらなりに話し合った結果だから。
 だから、この勘は勘違いなのだ。勘違いだと思おうとした。した、のだが……。
「何やってんだよ、オレ……」
 結果から言うと、オレは今現在Noctyxの奴らが住んでいる家の前に立っている。無理だった。勘違いと思い込むには違和感が大き過ぎたんだ。どうしても確かめないと気が済まない。悲しい探偵の性か、それとも自身の勘の正しさを証明するためか。どちらにしても気が重い。
「な、なあミスタ。本当にやるのか?」
 何故かついて来たルカが不安そうに声をかける。本当はひとりで来るはずだったのだが出かける時に運悪く(むしろ運よく?)ルカに見つかってそのまま一緒に来てしまったのだ。
「ルカはもう帰れよ。これはオレの勝手な自己満足だし、……付き合うこと無いって」
「そんなこと言うなって! 確かにミスタの言ってることは無茶苦茶だと思ってるさ。でもな、だからと言ってミスタひとりでこんなことさせられない。本当はやめさせたいけど、それじゃあミスタの気が済まないだろ? だったらとことん付き合うよ。オレ達、家族じゃん」
「……ルカ。ごめん、ありがとう」
「いいって。ほら行こうぜ」
 力強く笑うルカに本当に頭が上がらない。こんな太陽みたいな彼が何故マフィアのボスなんてやっているのか甚だ疑問しかないが、今は心強いことには変わりなかった。
「そうだな。あいつらが帰ってくる前にさっさと終わらせないと」
 今、この家にはNoctyxの奴らはいない。あいつらが何を隠しているのか知らないが、証拠も無く勘だけを頼りに聞いたところで正直な回答が貰えるとは思っていなかったのである。だから仕方なく不在時を狙わせてもらった。良く言えば調査、悪く言えばこれは家捜しだ。
 手早く鍵のかかった玄関のドアノブに合鍵を差し込み、家の中に入ると予想通りガランと人気の無い空間が広がっていた。ちなみにNoctyxの奴らとオレ達は互いの家の合い鍵を持っている。これは緊急時に使うための物だが今回ばかりは悪用させてもらった。さっきは探偵らしく調査なんて言葉を使ったがこれは間違いなく不法侵入、犯罪だ。良い子はマネしちゃ駄目だぜ。親しき仲にも礼儀ありってやつだ。
「ルカは一階を見てくれ。オレは二階を見て来る」
「ああ、いいぜ」
 この家には何回も遊びに来ているので間取りは把握している。とりあえず一階はルカに任せ、オレは二階のユーゴの自室を調べてみることにした。階段を上り廊下を少し進んでユーゴの部屋のドアノブに手をかける。鍵はかかっていないらしくドアはすんなりと開きオレを迎え入れてくれた。
 ほとんどユーゴの部屋なんて来たことは無かったが、それでも少ない記憶を頼りに何か気になるところが無いか慎重に見ていく。多分浮奇が定期的に掃除しているのか部屋には埃が溜まっていることはない。棚には音楽関係の本や雑誌、その他にはCDの類が並び、また隙間の所々には初音ミクのグッズなども置いてあった。ここは特に変なところは無い。机の上のパソコン機材もそのままだった。特段この部屋には変わったところは無いかと思ったがユーゴが使っていたギターだけが見当たらない。物を大切にするあいつのことだから売ったとか壊したとかは聞いていない。一応気になって部屋の中を隅々まで探してみるが見つけることは出来なかった。
 ギターが無いというだけでは何の手がかりにもなりやしない。他の誰かが借りている可能性だってある。しかし、調べようにも他の奴らの部屋には鍵がかかっており、鍵をこじ開けて入るのは流石のオレでも気が引けるため諦めるしかなかった。
 成果なし、惨敗だ。
「……ん?」 
 とぼとぼと階段を下り、ルカのいるリビングに向かおうとした時、不意にギターの音色が微かに聞こえてきた。一体どこから聞こえるのかと耳を澄まして音を辿ると、どうやら階段下の収納部屋の向こうから聞こえてくるらしい。
 完璧に忘れていた。そうだった、この家には地下室があった。ユーゴや浮奇の為に防音室完備の音楽部屋にしていると誰かが言っていた記憶が蘇って来る。
 音の出所は分かった。じゃあ次の問題だ。Noctyxの奴ら、つまりファルガー、浮奇、サニー、アルバーンの不在は確認済みだ。だったら今聞こえてくるギターを弾いているは誰なのか。心臓が早鐘を打ち、興奮しているのか額に汗が滲む。
「おい、ルカ」
「ん? どうしたんだ? 何か見つけた?」
「いいから、ちょっと来て」
 音の主に気づかれないように足音をなるべく消してリビングにいるルカを呼びに行く。そして不思議そうな顔をするルカを誘導して階段下の地下へと続く扉の前で「耳を澄ませてみろ」と無言で促した。ルカは困惑していたが、オレの言う通りにじっと耳を澄ましていると多分オレと同じ音が聞こえたらしく驚愕の表情を浮かべる。
「ミ、ミスタ……、これ誰が弾いて…」
「分かんない。けど、あの四人じゃないのは確かだって」
「……行くの?」
「…行く」
 意を決して地下へ続く扉を開けると先ほどよりも音が鮮明に聞こえてくる。勘違いなんかじゃない。緊張で微かに手が震えてきた。そんなに長くない階段をゆっくりとルカと共に下るにつれて、ギターの音に交じって微かな歌声が耳に届く。聞き覚えのあるその歌声になんだか泣きそうになった。
 下った先の扉に手をかけゆっくりと開くとそこには広い空間が広がっていた。音楽部屋と聞いていたが、音楽機材はもちろんだが簡易ベッドにソファと収納棚、あと何故だかコタツがある。まるで人ひとり住んでいそうな生活感だ。そして、その奥に目をやると部屋の隅に置かれた防音室の中に人影が見えた。黒髪で線の細いシルエット、青いジーンズに白のティーシャツといったラフな格好をした奴がギターを弾きながら歌っている。その姿はオレの思い描いた遊間ユーゴの姿では無かった。しかし、歌声は確かにユーゴのモノだ。
 これは一体どういうことなのか、訳が分からない。
「っ! ユーゴ!!」
 隣のルカはこの人物をユーゴだと認識したのか感極まった声で叫ぶ。防音室の扉が半開きだった為、ルカの声が聞こえたのかギターの音色が止んだ。そして、中の人物が少々驚いた感じでゆっくりこちらに顔を向ける。
「あ、ルカ。と、ミスタ」
 目と目が合い、なんとなしに彼から呟かれた言葉にオレは目を見開くしかなかった。何度も言うが声はユーゴだが見た目が全然違う。だが、確かに初対面のはずなのにこちらの名前を口に出された瞬間、懐かしいモノが込み上げてきた。頭の中のオレが叫び散らかしている。こいつは遊間ユーゴだ、と。
「ミスタPOG!! 本当にいた!! めっちゃPOGだ! ユーゴ!! 会いたかったぜ!!!!」
「え?! あ、ちょ、ちょっとルカ!! 待て! 待てっておい!! やめろやめろ! 目がっ、目が回る……っ!!」
 我慢できなくなったのかルカが防音室の扉を全開にしてユーゴらしき人物に飛びつき、そのまま抱き上げてぐるぐると回し始める。彼は必死に抵抗するがそんなこともお構いなしにルカは喜びを爆発させていた。ぐるぐる回されて大変だなと他人事みたいに思っていると、ルカが十回ぐらい回ったところで彼はぐったりとルカに身を預けるようにして動かなくなってしまった。これはヤバい。オレは慌ててルカを止めに入る。
「ルカ! ルカ!! ストップ!! ストップ!!」
「え? あ、あれ? ユーゴ!? え? え? なんで?」
「なんでじゃねぇよ!! あんだけ勢いつけて回したら普通の奴は目ぇ回すって!!」
「ご、ごめんっ! どうしよう……あっ! そうだ、みんなにも知らせなきゃ…。よし! ミスタこのまま連れて行こうぜ!!」
「はあ!? いや、っておい! おいこら! 待てって!!」
 まさか、興奮した大型犬のごとくユーゴに似た人物を腕に抱えたまま飛び出して行くルカを追いかけるはめになるとは思わない。階段を上って一階に戻り、急いで玄関を抜けるとルカの部下が車で待機していた。
 いったい、いつの間に?
 なんて少々思考停止しているとその車に当然のようにルカは乗り込む。
「ミスタ! 早く乗って!」
 そう言われてしまってはオレも仕方なくそれに続くしかなかった。マフィアの車だ。怖くない訳が無い。いくらルカの部下だからと言っても緊張する。高級なシートってめっちゃ沈むんだな、とか少々現実逃避したくなったのは許して欲しい。
 ルカはずっとご機嫌、じゃなくて興奮しているのか腕の中の人物をずっとユーゴだと思って喋っている。オレはその勢いにおされて自宅に着くまで適当に相槌を打ち続けることしか出来なかった。興奮した大型犬をオレが制御するなんて出来ない。
 うん、無理。
「ただいま!! ねぇ、みんな見てよ!! ミスタの言った通り! ユーゴいた!!」
 多分、実質十分程度のドライブだったが、オレにとっては果てしなく長い道のりを経てようやく着いた自宅。はっきり言って生きた心地はしなかった。
 ルカは車から飛び出すと、玄関を吹き飛ばすんじゃないかと思うくらい勢いよく扉を開け放ち、そのままリビングへと突進して行く。リビングには出て行く時にはいなかったヴォックスもシュウもアイクもみんないて寛いでいた。そこにユーゴらしき人物を抱えて突撃するルカと、突然の事態に驚き声も出ない他の奴ら……。うん、まるで台風のように被害が酷いな。
 止めないオレも同罪だって? さっきも言ったが興奮した大型犬の制御は無理なんだって。
「はあ?!」
 しばらく呆然としていたアイクだったが、訳が分からないって感じで素っ頓狂な声を上げる。うん、気持ちは分かる。とっても。
「…………とりあえず、ミスタとルカは、ミスタの勘を確かめる為にフーちゃん達の家に無断で入って? 家捜しの末に地下の音楽部屋で彼を見つけたってことでいい? ひとこと言わせて? 何やってるの??」
「簡潔で分かりやすい説明をありがとうアイク」
「ふざけているとはっ倒すからねミスタ?」
「……ごめんて」
 アイクの暴力は加減を知らないから怖い。高々、文豪の張り手なんてと鼻で笑う奴がいるかもしれないが、アイクの台パンを見たらそうも言ってられないからな。
 本当に怖い。
 話が脱線したが、正気に戻ったアイクがオレとルカに説明を求めたので正直に経緯を話したまでだ。怒られるのは分かっていたが、床に正座のジャパニーズスタイルの強要とか最早拷問だろ。隣にいるルカはしゅんと項垂れているし、まだ座って三分くらいしか経っていないのにオレの足はジンジンしてきた。お仕置にしては結構陰険だ。
 オレが悪かったのは全面的に認める。でも、説教長くないか? この日本かぶれの陰険メガネめっ。………止めよう。うっかり口に出したら確実に殺される。
 足のしびれから気を逸らしたくてソファに座らされているユーゴに似た彼を見つめた。彼は少し気分が良くなったのかシュウが差し出した水を飲んで一息ついている。こうやってまじまじ見ていると本当に姿だけは別人のようだ。
「あー、何と言うか。私の家族が大変失礼なことをした。彼らに代わって謝罪する。本当にすまない。……しかし、君は一体何者なんだ? 私には君の中に遊間ユーゴの魂が見えるのだが」
「ヴォックス? 今なんて?」
「僕にも彼の中にユーゴくんの魂が見える。ほんと、どうなってるのこれ?」
 困惑と少しの興味というような声色のヴォックスとシュウ。この二人が視たのならきっと正しいことなのだろう。オレは正直驚きよりも納得の方が勝った。魂は遊間ユーゴ。そういうことなら、いくら姿かたちが違ってもユーゴだって思っちまうだろう。ルカはきっと野生の勘が働いたのだと思う。ルカならあり得るって自然に思えてしまう自分の思考が怖い。
「――っねぇ、君はユーゴなの? ねぇってば…」
 一番動揺していたのはアイクだった。今にも泣き出しそうな顔で彼に詰め寄る姿は先程まで怒りを露わにしていた人物と同じとは思えないくらい痛々しいものである。
 ここにいる誰もが彼の口から「そうだよ」って言葉を聞きたかったに違いない。しかし、現実はどこまでも残酷だ。
「……申し訳ないけど、確かに俺の魂は遊間ユーゴの魂で遊間ユーゴの記憶もある。だけど、俺は遊間ユーゴが現在を生きたことによって生まれた存在で…、えーっと、結論から言うと俺は遊間ユーゴじゃないんだ。ごめんなさい」
 そう言ってすごく悲しそうな顔をして彼は笑った。
 遊間ユーゴではない、そりゃそうだよなとしか言いようがなかった。遊間ユーゴは世界によって燃やされたのだ。それなのに、また遊間ユーゴが誕生するなんて、そんな都合のいい奇跡なんて起こらない、起こってはならない。むしろ魂が遊間ユーゴのモノってだけでも、その魂を持った別の人間が新たに生まれたってだけでも奇跡なのだ。しかも幸か不幸か遊間ユーゴの記憶を持って、だ。これ以上を望むなんて、そんな贅沢は許されない。
「……そっか。そう、もうユーゴじゃないんだ。……そっか」
 落胆、そうアイクの顔には書いてあって、それ以上何も言葉を発することは無かった。ヴォックスとシュウもなんて言葉をかければいいのか迷っている様子だし、オレとルカもこの気まずい現状に黙るしかなかった。
「アイクせんぱ…、いや、アイクさん、そしてみんなもごめんなさい。不可抗力だったけど、俺はみんなとは会わない方が良かったんだ。ごめんなさい。……もう、これっきりだから。勝手なお願いだけど、ふーちゃん達とは変わらず仲良くして欲しい。お願いします」
 まただ。つらいなら悲しいのなら笑わなくても良いのに彼は無理に笑おうとする。いや、そんな顔をさせてしまったのはこちらの落ち度だ。オレ達が明らかにガッカリしたから。人間とは少しの希望に縋りたい生き物で勝手に期待して勝手に落ち込んで、それで相手を傷つける。
 なんとも浅ましく、そして傲慢だ。
「嫌だっ!」
「ルカ?」
「だ、だって…、オレ、ユーゴにさよならさえ言えなかった。ユーゴが燃えて消えるところだってオレは見てないし。正直、未だにいないって実感が湧かない。……だから、君を見つけた時すっごく嬉しかったんだ。まあその時は君のことをユーゴだって勘違い? いや、勘違いじゃない? ああもう! とりあえず、だ!! オレは嬉しかったの! 君がユーゴじゃないってのは分かった。でも、このままバイバイとかあんまりだって!! さっきは勝手に落ち込んでごめん! なぁ、オレ達また友達にはなれないの? また初めましてから始めちゃ駄目なの?」
 また「初めまして」から始める、それをさらっと言えるルカは強いなと思った。みんなはどうするのだろうか、オレはどうしたいのだろうか。天才と称される頭脳を持って考える。だけど答えは出ない、それもそうだこれは心の問題。答えなんてはじめから無いのだ。
 彼は遊間ユーゴじゃない。遊間ユーゴという魂を内包した別人。このまま二度と会えなくても、また「初めましてを」しても、どっちにしろいずれオレも相手も傷つく選択だ。だったら、どうせ傷つくならエゴを突き通してもいいじゃないか。オレはまだ遊間ユーゴを惜しく思っている。あの声が聞こえないこの世界は少し、寂しい。
「…オレにはお前を見つけちまった責任があると思っているけど、まあ、それはそれとして確かにルカの言う通りこのままさようならってのはなんか嫌だなって思う。ん? ……あれ? ちょっと待って。お前、名前あるの?」
「へ? な、名前?」
「そう! 本当に失念してたけど、ユーゴじゃないんなら別の名前くらいあるだろ! 名前、教えろよ。それとも無いのか?」
 不意に思い出した。そうだよ、名前だ。肝心なことをみんな、オレを含めて忘れているなんて本当にどうかしていた。名は体を表す。名前が分からないから彼を彼として見れないのだ。
「お、俺の名前はユウ……。浮奇がつけてくれたんだ。……最初、俺が「名無し(unnamed)」って言ったから。頭文字の「U」をとって「ユウ」だって…」
「ふーん。…ユウ、ユウね。分かった。じゃあ改めて自己紹介から、オレの名前はミスタ・リアス。職業は探偵。これからどうなるかなんて、そんな未来のことなんか分かんねぇけど、とりあえず、よろしく」
 彼の名前を口の中で転がすと少しだけユウという人物の輪郭が見えた気がした。名前ってやはり重要だと思い知る。自己紹介はまあ少し素っ気なくなってしまったけどオレにはこれが精一杯。断じて、人見知りが発動した訳じゃないからな。
「なあ! オレ! オレはルカ・カネシロ!! マフィアのボスだ!! なあユウ、オレ達と友達になろう? Noctyxの奴らとは仲良くなったのにオレ達とは仲良く出来ないだなんて、もう会わないなんてそんな寂しいこと言わないでよ」
「――っ。俺、俺は……」
 困惑したようにユウは口ごもる。オレとルカ、二人がユウを認めてもヴォックスやシュウそしてアイクが気になるのだろう。ユウはきょろきょろと今にも泣き出しそうな顔をしながら周囲を見回す。
「ユウくん。そっか、ユウくんねぇ。最初は確かにびっくりだったけど、うん、やっぱり名前があるとしっくりくる。僕は呪術師の闇ノシュウだよ。よろしくね」
「ヴォックス・アクマだ。鬼だが別に取って食わないから安心して欲しい。まさかルカとミスタに気づかされるなんてな。私も焼きが回ったか?」
「シュウ? ヴォックス? なんで?」
「何でって? 何で? 別にいいじゃない。ユーゴくんは魂として存在しているし、君自身はユウくんだし。なんかお得だなって僕は思うよ。後はまあ、細かいことを気にしてもしょうがないかなって」
「そうだな。ユウ、そう怖がることは無いさ。さっきは何も言えなくて申し訳なかった。私としてはどんな姿だろうと初めましてだろうと君と会えて嬉しいよ」
 シュウもヴォックスも難なくユウを受け入れるなんて少々予想外だった。だって、余計なモノが視えてしまう彼らのことだ、見えないオレ達とはまた違った思いがあるのではと勘くぐってしまうのは当然だろう。
「ん? なんだミスタ?」
「別に……。案外、すんなり受け入れるなって」
「はははっ、単純なことだよ。シュウの言う通り、細かいことを気にしてもしょうがない。それより、この奇跡的な出会いを大切にしたいって思ったまでだ。ただ、それだけだよ」
「そうかよ」
 奇跡的な出会いを大切にしたい、だなんて長年生きたヴォックスらしい言葉だ。その考え方は嫌いじゃない。
 こうなると残りはアイクだけ。みんなの視線がアイクへと向けられる。
「っ、君はユーゴじゃないって分かったけど、見れば見るほどユーゴの面影があり過ぎて…。今も少し混乱しているんだ。でも、でも……………、――っ、ああ、もう! こんなの無理っ! 魂がユーゴでも別人だって分かっててもさ! 二度と会えないとか思ったら手離したくないって思っちゃうじゃん!! どうせフーちゃん達もそう思ってユウを囲ってたんでしょ! しかも僕達に内緒で!? あ――――っ!! ムカつく――――っっ!!」
 しんみりになるかと思ったら大層ご立腹だったらしくアイクの絶叫が家中に響き渡る。
 鼓膜が破れそうなくらい叫ぶじゃん? どうした文豪? いつものクールさはどこへ置いて来たんだ? って、思っちまうほど良い絶叫だった。デスボイスとスクリームが出来る喉と肺活量の力をこんな場面でフル活用しないでくれ。声で死にそうだ。
 マジで言ってるからな。
「ほんっとにムカつく! ユウのことを内緒にしてたフーちゃん達にもムカつくけど、ユーゴじゃないって知って勝手に落胆した自分が一番ムカつく………。っねぇ、ユウ? さっきは本当にごめん。謝っても取り返しのつかないことだって分かっている。正直、ユーゴの存在が消えたっていう事実はまだつらい。だけど、君の中にユーゴがいるって分かって嬉しい。そしてユウ、君にも会えて嬉しいんだ……」
「……アイクさん、無理しないで。俺はユーゴにはなれないんだ…」
「っ無理してない! 確かに君の魂はユーゴのモノだし面影もある。でも、君にユーゴになって欲しい訳じゃない! 僕は、僕はありのままの君とまた始めたい。僕の名前はアイク・イーヴランド。物語を紡ぐことが僕の仕事で生きがいなんだ。ユウ、僕は君との物語を紡いで行きたい。……我儘かもしれないけど許されるのならば君の中のユーゴと一緒にね」
 ユウとの物語を紡ぐ、アイクらしい口説き文句だ。ユウとその中のユーゴと一緒にだなんて傲慢にも程があるが、アイクなりの精一杯の言葉だったのだろう。さすが文豪って言いたい。若干、重いなって感じたけど、それは心の中に仕舞っておくとするよ。
「んへへっ…、ふーちゃん達も強引だったけど、Luxiemのみんなもなかなか強引だ……。俺はユーゴじゃないのに…ってその思いはきっと心の片隅にずっとあるかもしれない。でも、俺がユーゴじゃなくてもまた初めましてをしてくれるって言ってくれてすごく、すっごく嬉しい。だから、だから俺はそれに応えたいと思う。………………初めましてっLuxiemのみなさん! 俺、ユウって言います。また、仲良くしてください………。あ――…、なんか恥ずかしいな、これ」
 若干顔を赤らめて恥ずかしそうに笑うユウ。うん、さっきの無理やりの笑顔なんかよりこっちの方が何倍もいい。やっと言ってくれた初めましてに不覚にも目の奥がつきんと痛んだ。幸い涙を流すことは無かったが、隣のルカは鼻を啜っているし、シュウとヴォックスは相変わらず穏やかに頷いている。アイクも笑顔だがその眼には涙が溜まっているのが見えた。。
「おう、よろしくな、ユウ。また楽しくやろうぜ」
 暖かい春の日差しがリビングを照らす。ユーゴと冬に別れ、春にユウと出会った。ヴォックスの言う通りこの奇跡的な出会いを大切にしよう。ユーゴに会えた奇跡を。そして、ユウと会えた奇跡をオレは大切にしていきたい。そう思ったのだった。
 
 

 まったくこれは蛇足的な話かもしれないが、この一時間後にNoctyxの奴らが乗り込んで来てこの家の中は一時騒然となる。特にアイクとファルガーが壮絶な舌戦を繰り広げるなんていったい誰が想像できただろうか。
 ついでに、何故ユウの居場所が分かったのかというとユウが着けていたアクセサリーにはGPSが仕込まれていることが判明してドン引きするはめになる。なんて、そんな未来があるということをオレ達はまだ知らない。