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『初めてをもう一度』(N編)

 遊間ユーゴという存在が世界から消えた。いや、燃え尽きたと言った方が正しい。
 それは何の変哲もない日に起こった悲劇だった。その日は日中、久しぶりに全員揃ってリビングで談笑していたのを覚えている。俺もアルバーンも浮奇もフーちゃんも……、ユーゴもみんな楽しそうに騒がしく笑っていた。そう、和やかな日常のはずだった。誰もあんなことになるなんて、その時はまだ知る由も無かったのである。
 談笑中、急にユーゴが何かに驚いたのか目を丸くして固まり、そしてまるで悟ったかのような穏やかな笑みを浮かべた。何やってんだと呆れて声をかけようとした次の瞬間、ユーゴの体はたちまち青い炎に包まれていったのである。突然の出来事に俺達は絶句し、そして叫んだ。誰かが水をかけ炎を消そうとした。しかし、いくら水をかけようが青い炎は消えることはなく、ユーゴを焼き尽くそうと燃え続けたのであった。
 燃やされているというのに、あいつ、ユーゴは熱がる素振りなんて一切見せずあろうことか動揺し混乱し発狂する俺達を見て苦笑していた。こっちが必死になっているのになんて野郎だと今となっては怒りが湧く。文句を言うだけでは足りない、絶対にグーで殴ってやる、それぐらいの怒りが湧いているのに、ムカつくことにそれをぶつける相手はもういない。
「さようならってやつだ。……元気でな」
 別れの言葉はとてつもなくシンプルで驚くほど呆気ないものだった。ユーゴはただただ穏やかで、それでもどこか寂しそうな泣き出しそうな笑顔で燃え尽きて逝ったのである。後に残ったのは呆然と立ち尽くす俺達とあいつの座っていたソファにぽつんと落ちていた掌に乗るくらいの蒼い石だけだった。
「未来とは不確定なものである」
 耳に胼胝が出来るくらい聞いた話だ。何かの弾みで俺達から見て過去、つまり現在が変われば未来も変わる。それが良いモノか悪いモノかは別として、未来で存在していた人物がたった一人いなくなる現象ぐらい、未来という大きな括りにとってはとても些細な出来事なのだろう。今回またまたその対象がユーゴだっただけ、運が悪かっただけ、言ってしまえばそれだけのことだった。なんとも、当事者にとっては理不尽極まり無いことである。
 本当に忌々しい限りだ。
 今更、どう足掻いても遊間ユーゴはもういない。未来にも、そして現在にも。だが、ユーゴは少しの間だったが俺達とこの現在を生きた。それが功を奏したのか分からないが遊間ユーゴがいたという事実は消えなかったのである。俺達とユーゴとの記憶、家にあるあいつの私物も何も無くなっていない。ここには確かに遊間ユーゴが生きていた。その事実が嬉しい反面、とても虚しくてつらい現実をより実感してしまう。
 ユーゴがいなくなったことはLuxiemの奴らにもすぐに伝わることになった。たまたま遊びに来たルカとミスタが茫然自失状態の俺達を見つけ、何があったかを問われた際、フーちゃんが重い口調で説明していたのを俺はぼんやりと眺めていたのである。ルカかミスタかどちらが連絡をしたか分からないが、ヴォックス、アイク、シュウもすぐに駆けつけてくれた。彼らも最初こそはこの現状に驚いていたが、すぐに俺達のことを優先し気遣い、世話を焼いてくれた。本当は彼らもかなり動揺していただろう。それなのに不甲斐ない俺達はその優しさに甘えることしか出来なかったのである。
 
 
 あれから一ヵ月余り。俺達は必死に元の生活に戻ろうとしていた。笑顔になることもそれなりに増えているはずだ。しかし、ふとした瞬間に思い出す。ユーゴのあの馬鹿みたいな笑い声を口ずさんでいたメロディーを……。
 たった一人居なくなっただけなのに、この家がとても広く寂しく感じる。
「これは、サニーが持ってなよ」
 ユーゴがいなくなって三日ぐらい経ったある日。そうアルバーンに言われて渡されたのはまるで忘れ形見のように落ちていたあの蒼い石だった。浮奇は『ベニトアイト』という宝石に似ていると言っていたが宝石等に詳しくない俺にはよく分からない。こんな石っころなんて持つ趣味は無いと突っぱねようとした。しかし、手の中の蒼い石がキラキラと輝く。光の加減なのかその輝く青の中に赤や金の煌めきが見えてしまった。ユーゴの瞳のような石。そう考えてしまったら手放すのが惜しくなり、結局俺が持つことになったのである。
 自室でボーっとしている時はこの石を掌の上で転がすのが癖になった。キラキラと照明に反射するこの不思議な輝きを見ているとなんだか心が落ち着くような気がする。
 なんて馬鹿な自分なのだろう。落ち着くだなんて、そんな言い訳のように必死に言い聞かせて。まったく自分で自分を嗤ってやりたくなった。
「随分と小さくなりやがって……」
 堪らなくなって悪態をつくが返事が返ってくることなどもちろん無い。希望なんてないことぐらい分かっている。でも、踏ん切りがつかないのだ。祈るように両手で石を握りしめ、目を閉じて心の中で様々な感情をぶつけた。これはこれで馬鹿らしくて虚しい行為だ。だけどもせずにはいられない。この石しか遺さなかったのだから、石相手に当たり散らす他無いのである。
 …………熱い?
 どれくらいそうしていたのか分からないが急に掌が熱くなる感じがして目を開けた。ゆっくりと手を解き、中にある石を確認すると石はギラギラと見たことが無いほど輝き、そしてたちまち炎が上がったのである。ユーゴを燃やし尽くした時と同じ、あの青い炎だ。
「! っ、…あっつ!!」
 あまりの熱さに思わず放り投げてしまった石がベッドの上に着地する。俺の手から離れたからか炎は更に勢いを増し、あっという間に大きな青い炎の塊になって忘れ形見を燃やし尽くさんとしていた。慌てて炎を消そうとするも感じる熱は尋常ではなく近づくことも出来ない。
 嫌でもあの日の記憶が蘇る。忌々しい記憶がやっと薄皮が張った傷口を問答無用に引っ掻き、より傷口を深く抉っていく。
「――っやめろ! やめてくれ!!」
 もう奪わないでくれと声が枯れんばかりの大きな声で懇願するが、無情にも中心で燃えている石は徐々にほろりほろりと崩れ落ちようとしていた。
「サニー!! どうしたの!?」
「大丈夫か!?」
「一体どうしたって…!」
 俺の叫びを聞きつけてアルバーン、フーちゃん、浮奇が部屋の中へ飛び込んでくる。彼らは安否の声を上げるがその後に続く言葉は聞こえなかった。三人とも俺と同様に目の前のこの惨状に言葉を失っているのだ。そうやって立ち竦んでいる俺達を尻目に炎は舐めるようにベッドの上を覆い尽くしていく。最早為す術など無かった。あんな小さな石一つに対して大袈裟過ぎるほどに容赦なく炎は燃え続ける。
 また俺達はただ見ていることしか出来ないのだ。自身の無力さに腹が立つ。たった一人も守れず、たった一つの形見さえ守れない。抗うことも出来ない自分。現状を嘆くだけで何も変われない自分。本当に無力で無様だ。
「!? ――――っ!!」
 突然、目が眩むほどの発光に襲われる。それは青い炎が爆発的に発した光であった。痛みを伴うほどの光源に俺達は思わず目を閉じる。そして数秒ほど経ち目を開けた時には炎はもう跡形も無く消え去っていて、代わりにベッドの上いたのは横たわった全裸の人間が一人。
 …………何故?
 頭の中は疑問符で埋め尽くされる。急展開過ぎて別の意味で俺達は言葉を失った。まさかあの炎の中から人間が出て来るなんて夢にも思わない。イリュージョンでもあるまいし、タネと仕掛けと説明書きと何なら注釈も付けてほしいぐらいだ。混乱極まり。今まさに俺はそんな状況に陥っている。
「んっ…、ん――……? おはよ?」
 そんな俺達を他所にぱちりと目を覚まし、のんきに挨拶をする得体のしれない人物。彼の青い瞳と目が合うと既視感を覚えた。華奢な体に白い肌、ふわりとした黒髪の長い襟足は細い首筋を流れて行き、顔立ちなんて中性的で見た目は全然似ていないのに、それなのにその眼と声だけは求めていた人物だった。
 先程までの混乱は全力で投げ飛ばしてやった。それどころじゃなくなったからだ。
「……ユーゴ?」
 僅かな希望に縋りたかったのかもしれない。違うと理解しながらもそう聞かずにはいられなかった。
「……悪いけど、遊間ユーゴは燃え尽きたんだ。俺は……、んー、説明が難しいな。魂は遊間ユーゴなんだけど…」
「………それってどう意味なの?」
 やんわりと否定され言葉を詰まらせる俺に代わってアルバーンが尋ねる。不甲斐ない兄で本当に申し訳ない。意外とダメージが大きかったんだって。ちらりと横を見ると浮奇もフーちゃんも動揺しながらも彼の言葉を待っていた。
「説明になるか分からないけど、俺の魂は遊間ユーゴの魂で今までの遊間ユーゴの記憶もある。だけど違うんだ。俺は遊間ユーゴじゃない。遊間ユーゴが現在を生きたことによって生まれた存在。たった今、生まれた存在。だから「名無し(Unnamed)」。期待に添えられなくて、ごめん」
 そう困ったように「名無し(Unnamed)」は笑った。
 魂はユーゴだがユーゴではない。彼の言っている意味を飲み込むのに俺は少し時間を要した。本当は理解したくなかったのかもしれない。一瞬の葛藤の末、それでも無理に飲み込んだ意味は喉元に刺さった骨のようにじくじくと痛みを伴って胃の中に落ちて行った。
 ぶっちゃけ、任務中、扉に仕掛けられた爆弾に気づかず吹っ飛ばされた時の方が痛かったな。なんて少々の現実逃避ぐらいは許してほしい。傷心で傷身なのだ、文字通り。
「……とりあえず、裸じゃ寒いでしょ。体格違うけど、俺の方が近いから俺の服で我慢してね。ほら、行くよ……「ユウ」」
 しばらく、誰も動けないままだったがやはりと言っていいのか最初に動いたのは浮奇だった。混乱の中で失念していたが、確かに暖房が効いているとは言えさすがに全裸じゃ寒い。浮奇はベッドのシーツを剥ぎ取るとそっと彼を包み込み移動するように促す。その行動に今度は彼の方が動揺し始めた。
「ま、待ってよ浮奇。「ユウ」って、まさか俺のこと?」
「そ、「名前が無い」なんて不便でしょ?「Unnamed」の頭文字の「U」をとって「ユウ」。俺はそう呼ぶから」
 しかもちゃっかり名前まで付けているし。少々、いやかなり強引な時もあるが状況を見極め相手の為に行動出来るのは浮奇の良い所だ。俺にはそんな細やかなことは出来ない。目標の殲滅と言ったミッションなら楽にこなせるのだが。
「っ! ……んへへ。ありがとう浮奇、でも……」
「もし、今すぐここを出て行くとか言ったらはっ倒すからそのつもりで。俺は離す気はないから。……ユウとユーゴの魂は同じだって分かった。同じだけど別の存在だというのも理解した。いや、理解したふりをしているのかもしれない。だって君からはあまりにもユーゴの面影を感じてしまうから……。これから俺はユウにユーゴを重ねてしまうこともあるかもしれない。それはユウにとっても俺にとってもつらいことになるって分かっている。……分かっているけど、俺は君を離したくないの! お願いだから、どこにも行かないで…っ、ここにいてよ……、消えないで…」
「浮奇……」
 耐え切れなくなったのか浮奇がユウを抱きしめる。気丈に振る舞っていた言葉もだんだんと涙に滲んでいくのが分かった。また困ったようにユウが笑って浮奇をそっと抱きしめ返して、そして何かを懇願するように俺達の方に目線を向ける。きっと泣いている浮奇をどうにかして欲しいのだろうが今の俺達にもどうしようも出来ない。俺も、きっとアルバーンもフーちゃんも浮奇と同じ気持ちだから。
 これは罪深い行為だ。それでも縋らずにはいられない。地獄に垂れた蜘蛛の糸のように、いずれ極楽に辿り着かず、ぷつりと絶えてしまう糸だと分かっていても俺はその糸を今から掴む。そして、この気持ちはきっとユウ以外全員同じだ。
「君がユーゴで無いことは分かったが、俺はユウがここにいてくれると嬉しい。良ければ、また俺達と家族になって欲しい。………また、「初めまして」から始めようじゃないか。俺はファルガー・オーヴィド、気軽にフーちゃんと呼んでくれ。見ての通りサイボーグだ。間違ってもアンドロイドでは無いからな。そう言うことだ。よろしくなユウ」
「ふーちゃん。……いいの? 無理してない?」
「ああ。…いや、そうだな。俺もどうすれば良いのか、何が最適なのかは分からない。だけど、俺も浮奇と同じでユウを離したくないんだ」
「………そっか」
 フーちゃんが片手を伸ばしユウは戸惑いながらそれに応える。僅かにユウの手も震えているのが見て取れることから複雑な気持ちは一緒らしい。しかし、それでも手を取ってくれたということは希望を持っても良いのだろう。
「ユウ! ボクはアルバーン・ノックス! ええっと、いつもは雇われのコンビニ店長だけど本業は怪盗! これからよろしくね!!」
 すかさずアルバーンが飛びつくように声をかける。
「……浮奇・ヴィオレタ。…嘘かと思うかもしれないけど超能力者なんだ。初めましてユウ」
 浮奇が鼻を啜りながらも愛おしさを込めた声で呟く。
「サニー・ブリスコー……。VSF所属…、あー、まあ警察官ってやつだ。初めましてだ、ユウ。それから………、ユーゴもおかえり」
 俺の初めましての後に続いた言葉にみんなが息を飲むのが分かった。
「お前がユーゴで無いのは分かったよ。でも、俺はお前の中にユーゴを感じている。だからどうしても言いたかった。「おかえり」って。それに、どんなに姿や存在が変わろうともここがお前の帰る場所なんだ。だから、ユウもおかえり」
「うん、うん…っ、サニーありがとう。俺は遊間ユーゴじゃないけれどユーゴも確かにここにいるんだ。……ふーちゃん、アルバーン、浮奇そしてサニーはじめまして。それから、ただいまっ」
 自分の胸を押さえて今にも泣きだしそうな顔で笑うユウに耐え切れなくなったのかアルバーンが浮奇ごとユウを抱きしめる。それにフーちゃんも続き仕方なく俺もその輪の中に入っていった。
 しばらく団子状態で抱きしめ合う俺達。中心にいるユウの温もりを感じ、欠けていた何かがようやく埋まる。そんな気がしたのだった。


【閑話】

「ところでさあ、どうする? ユウのこと、Luxiemのみんなにも伝える?」
 服を着るために浮奇に連れられて部屋を出て行くユウを見送った後、アルバーンが少々面倒くさそうに口を開いた。
「……ユウが落ち着いたら話すことにしよう。俺達もまだ混乱しているしな。互いに少し時間が必要だろう」
 少し悩んでから出たフーちゃんの言葉には確かに説得力があった。しかし、それは建前だ。本音はまた別にある。
「本音を言えよフーちゃん。「しばらくは俺達でユウを独占したい」ってな。すぐにLuxiemの奴らに話したらユウとの時間が減るもんな? だから言いたくないんだろ?」
 良い子ぶったフーちゃんを揶揄いながら俺は訂正を入れた。
「おい、サニー。そんな言い方は……」
「頼むから違うなんて見え透いた嘘はつかないでくれよ? 俺達の仲なんだからな。フーちゃんの言いたい事も分かっている。ユーゴがいなくなった後、Luxiemの奴らの気遣いに俺達が助かったのは事実だ。だけど、それとこれとは話が別。俺はユウをまだあいつらに見せたくないし独占したい。それにまずはユウに俺達のことを信頼してもらう方が先だ。話すのはそれからでも良い。そう言うことだろ? フーちゃん」
 反論を返そうとするフーちゃんの言葉を遮るように俺は早口で捲し立てる。そうだ、まずは信頼を勝ち取らないと駄目なのだ。いくらユウがユーゴとは別の存在だからと言ってもユーゴの性質が完全になくなっているとは考えにくい。俺達が落ち着いたのを確認したらユウはふらりとどこかに消える可能性だってある。やりかねない。いいや、あいつなら絶対にやる。そうならない為にも今しっかりと俺達から離れないようにすることが先決なのだ。
「ユウはきっとちょっと目を離した瞬間にいなくなるよねえ。ボク達の為、とかなんとか理由をつけてさ。「ただいま」って言ってくれたけど、サニーの言う通り、今はユウとボク達の気持ちのズレを埋めないとって思うよ。あ! あとボクもLuxiemのみんなに教えてユウとの時間が減っちゃうのは嫌だから黙ってるのは賛成! 浮奇もきっと賛成するね」
 アルバーンも加勢するとフーちゃんは呆れたようにため息をついて、そして困ったように笑う。
「はあ、全くお前らって奴らは……。オーケー、分かった認めるさ。俺も、もうあんな喪失感は御免だ。ユウのことだってしっかり繋いでおきたいって思っているさ。Luxiemの奴らに話すのは俺達とユウがちゃんと家族になった後、でいいな? もちろんユウも含めたみんなで話し合いもしよう。信頼云々の話は省いてな」
 悪い顔だ。良かった、これでフーちゃんも共犯である。浮奇はもう言わずもがな、反対することはないだろう。
「分かってる」
「りょーかいっ」
 話し合いと言う名ばかりの丸め込みと囲い込みである。酷い話かもしれないが仕方ない。殺伐とした未来から来た俺達に正々堂々真っ直ぐな道なんて求めないでくれ。
 今度こそ手離さない、絶対に。また五人でいられるのならどんな手段でも俺達は選ばないのだ。