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プロスケーター・羽生結弦の覚悟 「観たいな」と思う演技を極めたい

沢田聡子
2022年8月11日 12:40
『SEIMEI』をミスなく滑り切るという目標


 プロ転向を表明した記者会見から約3週間後となる8月10日、羽生結弦は練習拠点であるアイスリンク仙台で“SharePractice”を行った。練習の様子をメディアに公開すると同時にYouTubeでも生配信する、新しい試みだ。プロスケーターとしてのスタートとなるこのイベントに、羽生は目標を持って臨んでいた。2015年には世界最高得点を更新し、連覇を果たした平昌五輪で滑った名プログラム『SEIMEI』をミスなく滑り切ることだ。

 多くの人の心を震わせた『SEIMEI』について、羽生は「やっぱり、自分にとっての代表作の一つでもあります」と語る。「平昌オリンピックのイメージが強い」と羽生自身が感じているからこそ、プロとして始動した今、完璧に滑ることを自分に課したのだ。

「自分で、会見でも『今が一番上手い』って言っていましたけれども、あの頃ちゃんとノーミスし切れなかった平昌オリンピックのフリーを、今この場所でノーミスで滑って『あの時よりも上手くなっているんだ』と証明したい、という気持ちが強くありました。そういう意味でも、平昌オリンピックの時の(ジャンプ)構成でやらせていただきました」

 この日、羽生は『SEIMEI』を3回続けて滑っている。1回目の通しで、2本目の4回転サルコウの回転が抜けた時に声を出して悔しがった羽生は、曲が終わるとまたすぐにスタートのポーズをとった。2回目の通しでは2本目の4回転トウループの着氷が乱れ、また悔しそうな様子をみせた時、失敗のない演技をするまで滑り続ける羽生の意志が伝わってきた。3回目の通しでは4本の4回転、1本のトリプルアクセルを含むすべてのジャンプを決め、最後まで滑り切った羽生は、報道陣の拍手の中で「ありがとうございました」と口にしている。

 羽生自身の希望で実現したという、計25の媒体ごとに1対1のインタビューに応じる個別取材で、筆者は最後の取材者として話を聞いた。芸術面に注力する従来のプロスケーター像を覆そうとしている羽生の挑戦を、具体的にどんな形で見せていきたいか問うと、羽生は「今日も、すごく緊張感のある演技をしていたと思うんですけど」と言い、言葉を継いだ。

「そういったことを、これからもどんどん続けていきたいなと思っていて。確かにそれは、点数としてつける人がいなくて、実際にその評価というものが“観たいか・観たくないか”に分けられると思うんですけれども、“観たいな”と思う演技を、アマチュアよりもより一層極めたいなと思います。やっぱりそれは、高難易度なジャンプと共に存在すると思うので。表現面ももちろん大事なのですが、やっぱり技術面の方が『上手くなったな』ってすぐわかる要素ではあるので、そこも大切にしたいなと思っています」

すべての学びを、スケートに落とし込む

4回転半を跳ぶプログラムは『天と地と』か、それとも新作か 【写真:ロイター/アフロ】
 羽生はプロ転向を表明する記者会見で、4回転アクセルに挑み続ける意志を示している。さらにこの日の囲み取材で「4Aは、できればやっぱりプログラムの中で跳ぶ機会があったらな、とは思っています」とコメントした羽生に、4回転アクセルのためのプログラムを新たに作ることは考えているのか、尋ねてみた。

「今のところ、ちょっと考えていないですね。まずは、4回転半を成功し切ること。その上で『この4回転半のためだったら、どういうプログラムが作れるのかな』というのは、また改めて考えていきたいと思いますし。それがもしかしたら『天と地と』なのかもしれないですし、これから(作る)新たなものなのかもしれないですし、それはちょっと、また改めて考えたいなと思います」

 そう答えた羽生は「ありがとうございます。逆に考えました、今」と言って笑った。取材を受けることで自分の考えを整理するという羽生の能動的な姿勢は、プロになっても変わらない。

 羽生は、5月から6月にかけて出演していた『ファンタジー・オン・アイス』の楽日となる静岡での最終公演で、舞台から登場してリンクに降りる演出で観客を沸かせている。氷上以外での表現でやりたいことはあるかを聞くと、「できれば、それを氷上につながるようにしたい」という答えが返ってきた。

「僕はダンサーでもないですし、ミュージカルの俳優でもなんでもないので、やっぱりスケートにしか自信がないんですよ。それで、いろいろなことを学ぶにあたって『最終的にスケートにどれだけ落とし込めるか』と僕は思っているので。自分のスケートの幅を広げるためにも、いろいろなことを学びたい。その上で、スケートでどれだけ表現できるかということを、まずは大切にしていきたいなと思います」

 羽生は、「ファンタジー・オン・アイス」の公式プログラムに掲載されたインタビューで、動画を観てダンスの基礎を練習していると明かしている。学んでいるのはバレエなのか、それともヒップホップなのか?

「今は、ポップダンスです。バレエは、僕のことを振り付けして下さる先生方が割としっかりやってらっしゃるので、間接的にちょっとずつ学べてはいると思うんですよ。だからこそ、陸上のカチカチな踊りをしっかりちゃんと基礎的にできていた方が氷上に生かせるかな、って。『新しい側面が出るかな』ということを考えながらやっています」

難しいものをやっていく姿を見せ続けたい

 アマチュアスケーターとしての羽生は、SNSでの発信を行ってこなかった。新たに開設した公式YouTubeチャンネルは、プロとなって得た新たな表現の場なのか。

「そうですね、あとは、皆さんに自分の演技を観ていただく機会を増やしたいというのが目的です。やっぱりショーに行けない方もいらっしゃると思いますし、海外在住の方ももちろんいらっしゃいますし。そういう中で、自分の演技をもっと気軽に見ていただきたい。その上で、『やっぱり羽生結弦、いいな』って思っていただきたい、みたいなことは感じています」

 公式YouTubeのチャンネル登録者数は既に54万人となり、このSharePracticeの配信も10万人超が視聴した。大きな反応に、羽生自身勇気づけられているのだろうか。

「やっぱり、嬉しいですよね。『自分がやっている方向が間違っていないんだな』ということを、また改めて感じるきっかけにもなります」

 記者会見でアイスショーの構成が念頭にはあることを明かした羽生だが、具体的なことは口にしなかった。この日の囲み取材でも、年内の活動は目途が立ってきたと話す一方で、告知は別の機会に行うとしている。個別取材でも詳細は語らなかった羽生だが、アイスショーについてもその姿勢は一貫している。

「今日みたいな『難しい難易度のものをやっていくんだ』という姿は、これからも見せ続けたいと思っています」

 プロに転向した羽生のスケーターとしての第二章は、平昌五輪で伝説となった『SEIMEI』を、当時よりも高い完成度で滑り切るという挑戦で始まった。常に前進しようとする姿勢こそ、プロになっても変わらない羽生結弦の本質なのだ。