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「花を咲かせる土を想像して」 羽生結弦さんから子どもたちへエール
岩佐友2022年8月12日 19時20分

 フィギュアスケート男子でオリンピック(五輪)2連覇を果たし、7月にプロ転向を表明した羽生結弦さん(27)が、朝日新聞の単独インタビューに応じた。羽生さんが今も大事にしている「9歳の自分」を振り返りながら、子どもたちへのアドバイス、そして、指導者や親の関わり方について、考えを語った。

 羽生さんはこれまで折に触れて「9歳の自分」を引き合いに出してきた。

 2019年 「ずっと9歳の自分と戦っている。心からスケートが好きで、自信があることに素直でいられた。その時の自分に『お前、まだまだだろ』と言われている」

 21年 「技術的には今が間違いなく一番強い。けど、精神的にはあの頃が一番強くて輝いていた」

 22年の北京五輪後 「今回の(クワッド)アクセル(4回転半)は9歳の自分に褒めてもらえた。一緒に跳んだっていうか」

 新たなスタートを切った羽生さんの原点を探りたいと思い、聞いた。

恩師・都築章一郎が羽生結弦へ送る言葉 「ご苦労さん」ではなく…
スケートが好きじゃなかった8歳
 9歳の時、なぜ、そこまで素直に、強い心でフィギュアスケートに向き合えていたのか。当時の羽生さんは、どんな少年だったのか――。

 うなずきながら質問を聞いて、羽生さんは語り始めた。

 「なんか自分が跳びたいジャンプがきれいに跳べたり、自分が勝ちたい時に勝てていたり、そういう瞬間がものすごい好きだったんですよね。だからこそ(9歳の頃は)スケートが好きだったし、スケートに対する自信がすごくあったんだと思います」

 小学4年生だった2004年。初出場した10月の全日本ノービス選手権を制し、12月にはフィンランドで開かれた国際大会で優勝を飾った

 ただ、そこに至るまでの過程は険しかった。

 「それまでの練習期間は、すごくすごくつらかった。長く苦しい大変な練習が積み重なったからこそ、9歳の時に、一気にジャンプが全部跳べるようになって、自分が滑りたいスケートができるようになったんですよね」

 「その時に一番努力の結果を感じられていたからこそ、スケートが好きだったのかなって。その過程は正直、すごく嫌いだったので。その前、8歳とかの自分はそんなに自信もないですし、そんなにスケートも好きじゃなかったです」

 当時は故郷・仙台で、都築章一郎コーチ(84)の指導を受けていた。小学2年から高校1年まで師事し、今も恩師と仰ぐ存在だ。

 都築コーチの下での練習について尋ねると、笑いながら正直に答えてくれた。

 「全然楽しくなかったですよ、そりゃ。隙さえあれば休むというか、サボっていました。先生が見ていないところで雪遊びをしたり、野球をしにいったり、そんなやんちゃな自分でした」

 ただ、と続けた。

 「そういう中でも努力をさせられ続け、頑張ったからこそ、『9歳の自信があふれた自分』ができあがって、それが今も続いているのかなと思います」

練習の大半はアクセル
 当時、都築コーチから課せられた練習の狙いは、はっきりしていた。基礎を作ること、そして長所をとことん伸ばすことだ。

 「都築先生の指導は、たとえば1時間の練習だったら、15分間はスケーティングで、40分間はアクセルだけの練習をして、5分間は他のジャンプ。それくらいスケーティングに力を入れていたし、アクセルにもかなり力を入れて下さいました」

 「だからこそ今、自分はアクセルにすごくこだわりを持って、アクセルが得意だって気持ちを持っていられるのかなと。スケーティングの土台も作ってもらえたのかなって思います」

 苦しい練習の成果を初めて実感できたのが、9歳だったのだ。そうして作られた「自信の塊だった自分」は、悩み苦しんだ時、いつも励ましてくれたし、最高のライバルになった。幼い日の自分と対話しながら、さらに高みを目指すこともできた。

 スポーツに取り組む子どもたちに、アドバイスを送るとしたら、どんなことを伝えたいですか?

 「何事も基礎ができているか、できていないかってすごく大きいと思います。正直、僕も小さい時は基礎を練習するのが本当に嫌いでした。ジャンプが跳べた時の気持ちよさの方が圧倒的に好きだったので、『なんでこんなにつまらない練習ばかりするんだろう』と思っていました」

 「ただ、英語の勉強もそうですが、単語とか、文法とか、基礎的なことがないと何もできないんですよね。表現する余地もない、みたいな話で。だからこそ、何事でも基礎を大切に。本当につまらない練習かもしれないけど、いずれ花を咲かせる時の土になることを想像しながら基礎練習は常にした方がいいと僕の中では思います」

 「いまだに基礎練習は大切にしなきゃと思います。今日(8月10日)の練習でも『つまらないな』と思いながら、やっていました。でも、本当に大事だなと思いながら、今もやっています」

 同時に、指導者や親がどのようにスポーツに向き合うかも子どもたちの成長を大きく左右する要素だ。

 最近では「行き過ぎた勝利至上主義」を理由に、小学生の柔道の個人戦全国大会が廃止となり、議論を呼んだ。

 五輪の金メダルに2度輝いた羽生さんは、どのように考えるか。最後に尋ねた。

 「勝利することって大事だと思うんです。それは頑張っている子どもへのご褒美だと思っているんです。たとえば、僕みたいに負けん気が強い人間だったら、試合での結果や、練習で何かが跳べた、何か成功したみたいなことが一番のご褒美としてもらえる報酬だと思うんですね。その報酬がないと何事も勉強にならないというか、頭の中に入ってこなかったり、体に身につかなかったりするんですよね。だから、ある意味では勝つこととか、ご褒美が大事」

 そう意見を述べた上で、続けた。

 「だけど、それをどこに求めるか。指導者側に立った時も、親の側に立った時も、勝利、結果だけがすべてなのかといったら、そこだけじゃなくて。他の報酬を与えることもできれば、良くなっていくんじゃないかなと考えています」

 羽生さんは五輪を連覇した後、子どもの頃からの夢だった4回転半へのチャレンジに価値を見いだした。競技会を離れてプロに転向した今も、自分の限界を超えるための挑戦を続けている。

 「やっと今、スタートラインに立った」と語る羽生さん。その生き方は、きっとこれからも、多くの学びを与えてくれる。(岩佐友)