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『跡付け上手』



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 冷やしておいたグラスに氷を入れ、ウイスキーをとろりと注ぐ。自分には少なめ、耀さんにはこっそり多めに酒を注ぎ、速やかに炭酸を注いで嵩を誤魔化す。

 こうしてそれぞれのハイボールが完成した。

(さすがの耀さんでも、酔ったらいろいろ話せてくれるはず......!)

 ここまで来たら後はなしと決めてそっと差し出すと、彼は軽く礼を言って受け取りゴクゴクと飲んだ。
 そのまま何も言わずグラスを置くのを見届けて、私はようやく安堵する。

「──何じーとしてんの?えっち」
「!えっ、あ、あの......」
「おっさんが飲んでるところばかり見て、なにが楽しーの?あんたも飲んでな」
「じ、じゃあ、いただきます......」

 コクコクと喉を鳴らして酒を飲み、緊張で味があんまりわかってなく、ただ乾いた喉を潤したばかり。

「うぅ……」
「飲むペース早すぎ」

 あっという間に、私はテーブルに頬杖をつき、ついふわふわと揺蕩ってしまった。

 飲める方だと思っているけど、緊張で飲むペースを間違えたかもしれない。それにハイボールとはいえ、ウィスキーにはやっぱり慣れていない。

 生憎、対するソファーにゆったりと腰掛けている耀さんは明朗快活であった。

「耀さんはずるいです」
「ほーん?」

 そういう耀さんを朦朧な視界で見て、思わずムッとしながら言った。

「......かわいすぎてずるいです」
「は、これは想定外な評価だね」
「ソウテーガイじゃない、か、わ、い、いんです」
「......へぇ。耀さんって可愛いんだ?」
「とぉっても、かわいいですねえ」
「じゃ、耀さんのどこがかわいいの?」
「ン゙ッ、教えなーい。っふふ」
「あら残念」
「耀さんだって、いつもお預けばかりじゃない」

 言ったばかりにテーブルにゴンッ!と額をぶつけ、肩を大きく揺らして声もなく笑った。板と頭がぶつかる衝撃で卓上に並んだグラス同士がカチッと鳴った。

「おいおい、はしゃぎすぎ」

 やれやれと近寄ってくる耀さんの顔に掛かった邪魔な前髪を乱暴に払って、目尻が下がった両目が露わになった。

「......耀さんは、」

 突拍子もない動きで少し固まった彼を意に介さず、ひょろひょろの声を出した。

「耀さんは、読めなさすぎて」
「ほう?」

 こんな距離で、その海より透き通ったアクアグレーを見ていても、何も視えない、視させてくれない。

 たまらず心が締め付けられ、こんな感情を持たせた彼が憎くと思えてきて、それても抜け出せないほど愛おしくて堪らなく、色んな感情が酒の勢いで迸るままに──

「私ばかり好きみたい......ひっく、づらいよぉ......」
「......」

 かなり厄介な酔っ払い方だと知っていても、高ぶった感情はそう簡単に歯止めがきかない。

「うぅ......」
「あんたねぇ......こんな姿を軽々と見せてくれるとは」

 耀さんは怒るでも蕩けるでもなく淡々と窘め、テキパキと酔っ払った私を優しい手つきで介抱した。

 ストローで水を飲ませ、クッションで姿勢を整えてくれると、あまりの心地よさで決まっていたかのようにストンと意識を放した。

「……躾が足りないね」


・・・

・・・・・・・・・・


 彼女の寝息が深くなったのを確かめ、俺はようやくそっと吐息を漏らした。

「はぁー......うっかり食べられても知らないよ」

 宅飲み、なんてワードを聞いたのはいつ以来だろう。

 なにか企みがあって誘ったのであろうということには気付いていたが、まさか尻尾を掴む前に相手の方から自滅していくとは。

(ほんっと、かわいいのはどちら様だろう。)

 何も遠慮なく彼女の無防備な寝姿を見る。化粧を施したままの瞼がアイシャドウでつやつやと艶めいていたが、色気を感じるより眩しいほど無垢な寝顔だ。

 俺はそれを眺め、再び彼女の頬をつんつんして声を掛けた。

「もしもーし、泥酔ちゃん」
「......、ムー......」
「おーい、部屋まで運ぶよ」
「ん〜?」
「......あいよ。ちょっと体揺れるけど、吐くなよ?」
「うん......」
「触られたくないところがあったら言いんなさいね」
「......おなか、触ったら出るかも」
「はっ、爆弾処理もうちの業務だっけ」

 慎重な手つきで小柄な彼女の体に触れ、割れ物のようにそおっと抱き上げた。

 持ち上げる時に小さく唸り声が上がったが、すぐ幼子が縋っているように、気持ちよさそうにスリスリと身を寄せてきた。

(起きていたら絶対にこんなスキンシップできるはずないのに。)

 そしてベッドに膝立ちで乗り上げ、彼女の体をゆっくりと下ろしていったところ、それまで大人しくしていた彼女がここにきて突然暴れ出す。

「ん゙〜〜!!」
「あー待て待て待てっ」

 バランスを崩し、彼女の上に倒れそうになったが、彼女の体を抱いたまま咄嗟に身を翻し、自分が下敷きになる。

 胸板に押してくるむちっとする感触を何とか気にしないようにしたが、その衝撃で彼女の意識が僅かに浮上したか──

「......教えてよ」
「?何を──、ンッ!?」

 急に近づけられた距離にビクッと肩をひくつかせて固まった。

 次の瞬間、左頸部にじわりと熱が広がる。

「んっ」

 ──それが首を噛まれたことによる痛みだと理解するまで、もう数秒かかった。

 その間、鈴桐は。

 ちろちろと噛み跡を慰めるような舌で舐めた後、俺の首元に顔を埋めたままムニャムニャと寝言を繰り返し、今では健やかな顔で寝息を立てている。

(──はっ、好き勝手に暴れてくれたじゃない)

 さすがの俺でも動揺の中でひとり取り残されて、無言無表情としていたということだ。

 やがてむくりと起き上がり、鈴桐の体をベッドにきちんと寝かせて、振り向かわずなるべく平静に保つままシャワー室に入った。

 シャワーの温度を最大まで上げて蛇口を捻り、熱い湯を浴びながら先程起こった出来事を反芻する。

 酔った鈴桐の、普段では聞けない敬語の外れた口調。しっとりと艶の乗った声は低く澄み、鼓膜の奥にいつまでも残った。

『──教えてよ』

 思い出すだけで頭がくらくらする。それで思わず浴室の壁に手をつき、深く息を吐いた。

 ついでに首に手を這わせ、彼女が付けた歯跡をなぞると、つい肌が粟立つ。酔い任せにがぶりと噛まれたそこはじくじくと疼き、熱い湯が沁みた。

(俺を酔わせてなにかを吐かせたいかと思ってたが、これこそ想定外だ)

 まるで別人だ。あの東鈴桐が俺に向かって反抗的な態度を取るなんて──

「はぁーーー。クソ......」

 投げやりな手つきでシャワーの温度設定を変え、折角温まった体に冷水を浴びせる。鏡で傷口を確かめようかと思ったが、理性的な判断に因ってそれを止した。

 なぜならいま彼女に与えられた傷跡を見て、昂らないでいられる自信がない。

 シャワーを付けっぱなしに、頭の中に残ったのは絡み付くような視線、首に掛かる熱く湿った吐息......愛嬌があって順従な彼女が初めて見せた強い自我。

 視線の先には、下腹部の先で微かに灯る熱。

 クズな元彼に散々傷つけられた彼女にそういう目では見ないつもりだったのに。

(......こんな俺を、知ってもどうにもならないのに)

 十分に冷水を浴び、心頭滅却してからシャワールームを出るのであった。




🐶🍻