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【筋立てのない、音楽とバレエの融合~バランシンの「観る音楽」】
 観る音楽。バレエ史上もっとも重要な振付家のひとりであるジョージ・バランシン(1904〜1983)の作品を一言で説明するとしたら、それ以外の言葉は思い当たらない。
 一般に「バレエ」と聞いてまずイメージされるのは19世紀に多数生まれた“チュチュとトウシューズを身に着けたバレリーナ”のフェアリーテイル(おとぎばなし)だが、20世紀に入るとバレエはそこから大きく二つに枝分かれして発達してゆく。一つは、フェアリー=妖精ではなく人間の恋愛物語として、よりリアルで濃厚な感情を描く『ロミオとジュリエット』のようなドラマティックな作品。つまり「セリフではなく踊りで語る演劇」である。そしてもう一つは、筋立てをなくし、音楽と身体の動きという舞踊の本質だけに純化した作品。プロットレス・バレエとも呼ばれるこのジャンルを確立し、現代的に洗練された名作の数々によって、今も世界を魅了し続けているのがバランシンなのである。
 バランシンはしばしば美術におけるピカソ、音楽におけるストラヴィンスキーに例えられる。伝統を知り抜いているからこそ革新者たり得た点でも才能のスケールの点でも、まさに当を得ているが、特にストラヴィンスキーとは、父子ほど年齢は違うものの長年に渡って親しい関係にあり(作曲家の死まで、それは続いた)、そこから『アゴン』(1957)、『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』(1972)『ヴァイオリン・コンチェルト』(同)などが生まれた。バランシンの作品の中でももっとも先鋭なのがこれらの傑作で、男女ともにシンプルな白と黒の練習着で上演されることから、俗に“ブラック・アンド・ホワイト・バレエ”とも呼ばれている。
 1930年代にアメリカに渡り、ニューヨーク・シティ・バレエの設立者として革新的な作品を発表し続けたバランシンは、じつは、帝政末期のサンクト・ペテルブルクに生まれ育った、ロシア古典バレエの申し子ともいうべき存在でもあった。それを象徴するのが、主にチャイコフスキーに振り付けた『テーマとヴァリエーション』(1947)『バレエ・インペリアル』(1941)など。革命によって永遠に失われた帝政時代の絢爛たる劇場文化への思慕を湛えた“チュチュとティアラの”バレエではあっても、そこにあるのは埃を被った大時代的な装飾性ではない。ダンサーたちは古典バレエの厳密な技法を“More!”(より高く、大きく、速く)というバランシン流の美学によってダイナミックにこなし、ひたすら動きによって華麗さを表現してゆくのである。
 いずれの作品でも目を見張らされるのが、音楽とステップの緊密な対応である。たとえば『アゴン』のパ・ド・ドゥでは、オープニングのファンファーレの華々しい期待感が高いキックや床を滑るような回転に変換され、男性が床に寝転んでの前代未聞のパートナリングや女性が大胆に開脚してのリフトなど、初演から半世紀以上が経った今観ても、じつに独創的でスリリングである。そしてなによりこの異次元の世界の秘儀のような振付は、ストラヴィンスキーの音楽 ― 十二音音楽の要素を取り入れて聞き手の意識の結び目を脅かすような危うさをはらみつつも、形式的にはバロック舞曲のスタイルを踏襲している―を、そのまま写し取ったものなのである。
 バランシンは他にも、バッハ、モーツァルト、ヒンデミット、ビゼーなどの名曲に振り付けているが、その芸術の本質を一望しようというなら、『ジュエルズ』をお勧めする。
 ストラヴィンスキーの「ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ」を用いた『ルビー』、チャイコフスキーの「交響曲第3番」を用いた『ダイヤモンド』の前に、これもバランシンが愛したフランス・バレエの伝統を彷彿させるフォーレの数曲を用いた『エメラルド』を配した本作は、「筋のない全幕バレエ」とも呼べるもので、この振付家の破格の才能を堪能しつつ、バレエ芸術が最初に劇場で花開いたパリ、20世紀中葉のニューヨーク、19世紀末のサンクト・ペテルブルクという歴代のバレエの首都を旅していくような、豊かな感興を与えてくれる。『ダイヤモンド』のあの全員での荘厳なフィナーレを迎える頃には、おそらく誰もが少し背筋を延ばし、胸を熱くしているはずである。