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クリケットクラブに来てから、羽生のジャンプはぐんぐんと伸びていった。

「彼のジャンプは本当に高くて、凄い、といつも思っていました」

 そう言うフェルナンデス自身、ダイナミックなジャンプに定評があった。


「自分で跳んでいると、どのくらい高く跳んでるかわからないんですよ(笑)。でもユヅのジャンプは目の前で見ていましたから、いつも凄いな、と思っていたんです」

フェルナンデスが忘れられない「羽生のプログラム」
 羽生のプログラムの中で、特に印象に残っている演技はあるだろうか?

「僕は『パリの散歩道』のユヅがとても好きでした。あそこでかかとを氷につけた、独特の動きを自分のものにして、彼ならではの個性を確立したと思います。それと平昌で滑った『SEIMEI』も好きですね。彼の中で、日本人として表現したいものがあるのが伝わってきました。僕にとっては例えばフラメンコのプログラムがそうであるように、彼にとってアイデンティティとして、重要なプログラムであるように感じました」



 羽生の演技のどのようなところが、特別だと感じるのか。

「ユヅの身体の動きもなのですが、演技をしている彼の表情が見ている観客をぐっと引き込む。あの力は彼ならではのもの。そして動きの全てに意味があるように見せてくれる。そしてもちろん、ジャンプの質の高さでは世界のベストの一人ですね」

羽生がスケート界に残したレガシー「彼は全ての選手の手本」
「彼は全ての選手に、あれほどのレベルを保ちながら息の長い選手活動を続けることが可能なのだ、というのを示してくれました。1年や2年、3年ではなく、長い間、常にレベルアップして進化し続けていった。競技者として、全ての選手の手本だと思います。そして演技がずっと安定していた。それはすごく重要なことですね。世界が必要としているのは、彼のような選手だと思います」

 羽生はシニアに上がってから12年間の競技活動を続けた。フェルナンデスも同じ12年、そして13年目は欧州選手権にのみ出場した。これだけ長い活動の間、選手にとって避けられないのは負傷である。