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むかしむかし、あるところに、アルベールという皇子さまがおりました。
皇子さまはとても退屈していました。伝統ばかり尊ぶ王宮には、彼が求めるような刺激なんて、どこにもないのです。
やがてアルベールは、この国で一番にぎやかなフロルの街へこっそりと抜け出し、民に扮して夜遊びをするようになりました。
彼が生まれた時からずっと探していた"何か"を求めて……。
フロルの街は刺激にあふれていました。酒場、劇場、カジノにトーキー。しかし、そんなものではアルベールの心は満たされませんでした。
ある夜、彼は民に訪ねてみました。この街で最も刺激的な場所はどこなのかと。
「そりゃあ旦那、この街じゃあ誰に聞いたって答えは同じさ。ほうら、あの店だよ」

Barマスカレイド。一見するとホテルのようですが、バーというにはあまりにも大きな歌劇場です。
これは期待できそうだ。アルベールは一等席に腰掛け、歌劇や演芸といった素晴らしいショーの数々に胸を躍らせます。
しかし……やはり、アルベールが探し求める"何か"は見つかりませんでした。
アルベールはひどくがっかりしました。次の刺激を求めて席を立とうとした、その時です。
「まもなく午前0時。今宵最後にお届けいたしますのは、当店きっての赤い歌姫……チェルシー・キャロル!」
拍手と喝采が飛び交うステージに登場したのは、チェルシーという美しい歌姫でした。
ガラスのように輝く瞳。魔法のように麗しい声。アルベールは、一目で恋に落ちました。
……ついに見つけた。彼女こそが、ずっと探し求めていた"何か"なんだ。僕は生まれた時から、いや生まれる前から、彼女に出会う運命だったに違いない。
まるで永く探していたガラスの靴の持ち主を見つけたように、アルベールははっきりと確信しました。
そしてアルベールは颯爽とステージに飛び乗り、驚くチェルシーの手に優しく口づけをしました。
「やぁ。僕はアルベール。この国の皇子さ。チェルシー、僕の妃になってくれないか?」
突然のできごとに、チェルシーは驚きました。しかし、すぐにその手を強く振りほどきます。
「ちょっと、今は公演中よ! 勝手に上がって来ないで! それに私には……」
チェルシーには、幼い頃から秘恋を寄せる相手がいました。
ところが数日前、酔いにまかせてその相手に想いをぶつけてしまい、そして冷たく拒まれてしまったばかりなのです。
アルベールはそんな彼女の傷心に気づき、これは勝機と考えました。彼は強欲な皇子です。欲しいものを手に入れるためなら、手段を選びません。
彼はチェルシーに優しく声をかけ、一度だけ王宮の舞踏会で歌声を聴かせてほしいと伝えました。
予期せぬ誘いにとまどうチェルシー、そんな彼女を制止するように現れたのは、バーテンダーのルイスでした。
「お客さま。当店の歌姫にはお手を触れぬようお願いします」
アルベールはすぐに気がつきました。この"バーテンダー君"が恋敵なのだと。
しかし、淡々と仕事をこなすだけのルイスを見たチェルシーが、言葉を返します。
「……一度だけなら、行ってもいいわ」
いつもの強気なチェルシーなら、男性からの誘いなどいっさい靡きません。しかし、ほろ苦い恋に傷ついた今の彼女には、甘くとろけるアルベールの愛がとても優しく感じられたのです。
アルベールはとても喜びました。そして舞踏会の夜に再び迎えに来ることを約束し、店を去っていきました。

そして舞踏会の夜。アルベールとともに馬車に乗るチェルシーを、ルイスはただ見つめることしかできませんでした。
ルイスには、どうしてもチェルシーの愛を受け入れられない理由がありました。
それは、彼が♠♥♣♦♠♥♣♦♠♥♣♦♠♥♣"♦♠♥♣♦"♠♥♣♦♠♥♣♦♠♥♣。♦♠♥♣♦♠♥♣♦♠♥♣♦♠♥、♣♦♠♥♣♦♠♥♣♦♠♥♣♦♠を知っているからです。
これで彼女の願いは叶い、そしてチェルシーもきっと幸福に暮らせるでしょう。
ルイスは自分にそう言い聞かせながら、彼女を忘れて仕事に没頭しました。
そんなルイスを見かねて声をかけたのは、もう一人の歌姫ロゼッタでした。
ロゼッタとルイスはとっても仲良くありませんが、それでも幼馴染です。彼の悩みなんて、ロゼッタにはよく分かっていました。
そこでロゼッタは、自らデザインを手掛け、技術士のスヴェンに仕立てさせた衣装を用意して、ルイスに押し付けました。
「アンタの気持ちはどうだっていいけど、チェルシーがどんな気持ちで舞踏会に行ったのか、考えたことあんの!?」
その言葉に、ルイスは幼き日の光景を思い出しました。大きな桜の木の下で交わした、チェルシーとの大切な約束を。
チェルシーは、ルイスの前で歌姫になることを夢見ていたのです。
覚悟を決めたルイスは衣装を手に取ると、夜の街へと駆け出していきました。

王宮での舞踏会は、華やかに賑わっていました。世界中からあらゆる歌姫が集められ、続々とその美声を響かせておりました。
しかしその中でも、チェルシーの歌声はまさに別格でした。耳の肥えた上流階級の者たちでさえ、踊りも忘れてその美声に酔いしれてしまうほどです。
王宮の職人たちが仕立てた豪奢なドレスも、ガラスでできた輝く靴さえも、彼女を引き立たせるための質素な飾りにしか見えませんでした。
やはり彼女は、あんな小さな歌劇場で灰を被らせておくわけにはいかない。アルベールは改めてそう思いました。
そしてアルベールは、午前0時の鐘とともにチェルシーにプロポーズすることを決意し、彼女のそばに向かいました。
ところがよく観ると、彼女が哀しみに満ちた表情をしているではありませんか。いいえ、表情だけではありません。その歌声も、あのBarマスカレイドで聞いた声よりずいぶん濁っているようでした。
まさか……とアルベールが何かに気づいた、その瞬間。
午前0時の鐘とともに何者かが靴音を鳴らし、王宮へ駆け込んできたのです。そう、彼は――
「……迎えに来た」
あのBarマスカレイドのバーテンダー、ルイスでした。
チェルシーはルイスの顔を見たとたん、ぱっと花が咲くように笑顔になり、彼のもとへ駆けていきました。
「チェルシー、待って……!」
アルベールの声は、もう彼女には届きません。なぜなら、チェルシーが心から愛しているのは、ルイスだけだからです。
鐘の音が鳴り響く王宮を、2人は走り去っていきました。そこに残されたのはアルベールと、彼女が落としていったガラスの靴だけでした。
アルベールは静かにガラスの靴を拾い上げ、そして考えました。
舞踏会でのチェルシーの歌声は素晴らしいものでした。それでも、Barマスカレイドで聞いたあの美声には遠く及びません。
きっとチェルシーは、ルイスのことを想って歌う時こそ、最高に輝けるのでしょう。
「……今夜は僕の負けだ、バーテンダー君」
このガラスの靴は、確かにチェルシーにぴったりでした。アルベールにとって、まさに運命の女性でした。
しかし彼女は、舞台の上で履き慣れた、あの赤い靴が大好きだった。ただ、それだけのことなのです。
「でも次の夜は、僕が迎えに行くよ。それまで待っていて、チェルシー」

Royal Scandal - Episode 5
「ビタースウィート」

📖Story & Character
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