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 我等(われら)には、死んで總(すべ)てが判(わか)つた。死んで今や、我等(われら)の言葉を禁(とど)める力は何一つ無(な)い。我等(われら)は總(すべ)てを言ふ資格が有る。何故なら我等(われら)は、真心(まごころ)の血を流したからだ。今再(ふたた)び、刑場へ赴く途中、一大尉が叫んだ言葉が胸に甦(よみがへ)る。『皆死んだら血の付(つ)いた儘(まま)、天皇陛下の所(ところ)に行くぞ。而(しかう)して死んでも大君の為に盡すんだぞ。天皇陛下萬歲。大日本帝國萬歲』そして死んだ我等(われら)は天皇陛下の所(ところ)へ行つたか?
 我等(われら)の語らうと思ふ事(こと)は其事(そのこと)だ。總(すべ)てを知つた今、神語りに語らうと思ふのは其事(そのこと)だ。然(しか)し先(ま)づ、我等(われら)は戀について語るだらう。あの戀の激(はげ)しさと、あの戀の至純について語るだらう。

 大演習の黃塵の彼方(かなた)、天皇旗の閃(ひらめ)く下に、白馬に跨られた大元帥陛下の御姿は、遠く小さく、我等(われら)が其(そ)の為(ため)に死すべき現人神の御形(おんすがた)として、我等(われら)が心に燒付(やきつ)けられた。神は遠く、小さく、美しく、清らかに光つて居(ゐ)た。我等(われら)が賜はつた軍帽の徽章の星を其(そ)の儘(まま)に。


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 我等(われら)が國體とは心と血の繫(つなが)り、片戀の有(あ)り得(え)ぬ戀闕(れんけつ)の劇烈な悅(よろこ)びなのだ。然(さ)れば我等(われら)の目に、遙(はる)か陛下は、醜き怪獸共(ども)に幽閉されて御座(おは)します、清らにも淋しい囚はれの御身と映つた。

 我等(われら)は遂(つひ)に義兵を舉げた。思ひみよ。其(そ)の雪の日に、我(わ)が歷史の奧底に潛(ひそ)む維新の力は、大君と民草、神と人、十善の御位に坐(ましま)す御方(おんかた)と忠勇の若者との、稀なる對話を用意してゐた。
 思ひみよ。
 其時(そのとき)玉穗為(な)す瑞穗國(みづほのくに)は荒蕪の地と化し、民は餓ゑに泣き、女兒は賣られ、大君の治(しろしめ)す王土は死に充ちてゐた。神神は神謀りに謀賜(はかりたま)ひ、我(わ)が歷史の井戶の尤(もつと)も清らかな水を汲上(くみあ)げ、其(それ)を我等(われら)が頭(かうべ)に注いで、荒地に身を伏して泣く蒼氓に代らしめ、現人神との對話を竊(ひそか)に用意された。其時(そのとき)こそ神國は顯現し、狹蠅為(な)す禍津日共(まがつびども)は吹拂(ふきはら)はれ、我(わ)が國體は水晶の如(ごと)く澄渡(すみわた)り、國には至福が漲る筈だつた。

三島由紀夫「英霊の声」より